2008年09月12日(金)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」詩編119:71



ある人が、当時、高度成長期
で、まさに企業戦士であり、
深夜帰宅に早朝出勤、休日無
くがむしゃらに働いた。仕事
の重圧にストレスは溜まり、
過労でとうとう心身に限界を
きたした。眠れなくなり、眠
剤に頼るようになり、わけの
わからない不安、孤独感に襲
われ、しばらく休暇を取り、
通院した。そんな時、誘われ
て教会へ行った。そこでの賛
美歌、祈り、聖書の言葉、何
もかも初めてであったが、カ
ラカラのスポンジが水を吸い
込むように、心にしみ渡った
。安堵感があった。しかし、
わらにもすがりたかっただけ
で、自分の「罪」がわかって
いなかった。ある日、「自分
はだめ人間」との言葉が口を
ついて出た。その時「それは
恵みです」と、だめ人間だか
らこそ、神の力を知ると言わ
れ、カチンと来たのだ。だめ
人間と認められた事に怒りが
湧いた。口では言うが、自分
は毛頭思ってはいない。その
時、あぶり出されるように、
自分のプライドを示された。
自分の力で頑張りに頑張って
来て、人一倍高いプライドが
あり、そのプライドが神など
必要ない、認めなくさせてい
た。自分が神であり、恐るべ
き高慢であり、それこそが罪
であると示された。人より優
りたい、優位に立ちたい、勝
ちたい、評価されたい、認め
られたい、今までの人生その
ためにだけ生きて来たと気づ
かされた。神に立ち返り、人
生が180度変えられた。
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気付けない事、教えられない
事が一番悲惨だ。思い通りに
行かない事は感謝で、底の底
で神様に出会い、神様の価値
観に変えられて行く。