2008年12月13日(土)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」(詩篇37:4)

願いをかなえるの前の節に、「主をおのれの喜びとせよ」がついている。
主をおのれの喜びとする人の、祈りを、心の願いをかなえて下さるということだ。

なぜなら、主をおのれの喜びとするような人は、自己中心なわがままな、自分さ
え良ければよいような祈りをガンガンする事は無いからだ。

主を喜びとし、主の御心に心を沿わせて行く時に、自己本位な祈りをする事は考
えられない。自然、主の御心を求めるようになる。それゆえ、その願いは叶えら
れる。

又、逆に信仰生活の中で、「願いが叶えられない」事を通してよく学ぶ事ができ
る。一つはもうすでに得たりで、叶えられていて、時が満ちると目に見える形で
やって来るので待てば良い。

もう一つは願いが御心に沿っていなかった。自分の核心をついた願いではなく、
真に求めていると思っているが、実はそうではない事を、主は教えたい。

本当に求めているものに行き当たらせたいがために、答えを差し控えておられる。
主が「わたしに何をして欲しいのか」「よくなりたいか」と、問うて下さる時に、
自分の本当の心の願いに気づく。

主の問いかけが、自分の心の奥深くの願いに焦点を当てさせる。問われた時に、
今まで意識もせず、考えもしなかった領域に光が当たる。あなたは、主に何をし
て欲しいのか。
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主を喜びとして行く時、自分本位の、自分、自分、という祈りから守られる。自
己中心でなく、心の中心に主を据えて、御心を求めて行くからだ。主に向き合う
事により自分の本当の姿を知り、自分が本当に求めているものを知る。