2009年01月12日(月)

「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出てくるものが、人を汚すのです」マルコ7:15



特に「性善説」の我が国では、外側から入るものが、人を汚すと思われている。
環境が、成育歴が、社会が悪いから、非行に走り、犯罪を犯すと。

環境が良くなれば、社会が良くなれば、人間は良くなるのであり、悪いものを取り除くのが教育だと。しかし、聖書は真反対のことを言う。

人は生まれながらの罪人であり、罪を犯したから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すと。「義人はいない。ひとりもいない」外側ではなく、環境でなく、人の内側から出て来るものが、人を汚す。

「悪い考え、不品行、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚す」。日常生活で出会う様々な問題、悩み、争い、衝突、それらは環境の問題ではなく、それに関与する人々の心から、内側から出て来る問題だ。

すべてが心から出て来て問題を引き起こす。心に原因があり、心から出る「罪」が人を汚す。自分の内の汚れが、わかっていても、それを見つめるのは痛い事、辛い事なので、逃げて避ける。

不平、不満、愚痴で一杯の人は、まず、神を忘れ、自分を棚上げにし、いつも周囲の誰それの事ばかりを言う。

周囲ではなく、相手ではなく、問題は自分の内側にある。
まずその事に気づき認めよう。その時、解決が始まる。状況も周囲も相手も関係なく、自分と主の関係が正しければ、いつも幸せで平安だ。
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人の罪は、全く問題ではない。自分の中に平和になれない問題がある。不平不満の苦い思いが湧いてきたなら、自分を探ってみよう。問題の種を主に示していただこう。