2025年08月11日(月)

「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりし てはなりません。神はいのちを救うために、あなたがた より先に、私を遣わしてくださったのです」創世記45:5


ヨセフは、波瀾万丈の苦難の人生だった。どんなに苦し
い歩みだったろう。兄たちの妬みにより、隊商に売られ、
家族から引き離され、見知らぬ異国の地へ。どんな思い
だったろう。しかし「主がともにおられ」たので、エジプトで
主人の信頼を得、大きく祝福された。

しかし主人の妻に陥れられ、無実の罪で監獄に。異国の
地で、投獄の身となり、それも濡れ衣であり、ヨセフの心
は、いかばりだったろう。しかし、尚も「主はともにおられ」
恵みを施され、ヨセフは模範囚となり、監獄長の心にかな
い重んじられた。絶望的な状況の中で、「共におられる主」
を信じ、ヨセフはその場〃で、自分にできるベストを尽くし
生きた。

すべてが主の主権と支配の中にある事を信じたから、主に
委ねる事ができた。結果的に、大いなる主の摂理のゆえに、
先にヨセフがエジプトに遣わされ、世界的飢饉の中、ヤコブ
と一族を救うことになる。何という事だろう。こういう事だった
のかと、パズルが埋まる時、主の素晴らしいご計画が見え、
主の栄光が現れる。

ヨセフは、兄たちへの憎しみでなく、「私をここに遣わしたの
は、神」と信仰により捕らえる事ができた。兄たちの悪巧み
でなく、それも摂理のもとに用いられた背後の神を見ていた。
人生に起きる出来事を、神視点で見る時、今までわけがわ
からなかった事柄に光が差して、神と神のご計画が見えて来る。

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目の前の事態は、神。この状況に、出くわしたのは、神。
ここに私を置かれたのは、神。信仰により、神視点に立つ時、
見え方が全く違って来る。祈りが、違ってくる。信仰により
受け取り直せるように。