2024年04月05日(金)

「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包 皮を取り除け。」エレミヤ4:4


ステパノが頑なであるユダヤ人に対して「頑なで、割礼を受けてい
ない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている」と言った
が、心の割礼とは、冷たい石の心でなく肉の心、柔らかい、教えら
れやすい心を持つことだ。極みまでの愛して下さった主の御前で、
自らの心の頑なさを示されるだろうか。

固い心を開き、主の愛を受け取れるように、主は、私たちを助けて
下さる。心の頑なな部分を示し、砕いて下さる。あなたにも、主に
触れられたくない部分、心の包皮があるだろうか。固い自己中心の
部分があり、それこそが主の愛がをわからなくしている。それを認
め、主のもとへ持って行こう。

「もううなじのこわい者であってはならない」と、主が、取り扱い
切り取って、砕かれた柔らかい心にして下さる。ある人は非常に苦
しい試練を通った。毎日〃泣いて暮らした。これほど泣いて、涙が
よく枯れないと思うほど、泣いた。生きている心地も無いほどの状
況だった。しかし砕きに砕かれて、自分がいかに高慢であったかに
気づかされたと。

まさに苦しみを通して、皮を一枚はがれたようだと。心柔らかくさ
れ、へりくだらされ、恵みがわかる者とされた。以前と全く違っ
た。今。生かされている事が恵みだと、わかるようにされた。心の
包皮は、主と私たちを隔てる。包皮に気づくなら、そのまま主のも
とへ行こう。どうにも出来ない頑なな心を、主が取り扱い、柔らか
くして下さる。
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心を覆っている硬い自我は自分ではわからず、何かにぶつかり気づ
かされる。主は何を教えようとされているのだろう。痛くても、
主には目的があることを信じていよう。