2010年01月12日(火)

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り・・この地に連れ帰そう」創世記28:15



ヤコブは兄エサウを騙し、兄の怒りを買い、逃亡する。独り、何も無い荒野で日が暮れた。先行きの不安や恐れ、寂しさや孤独感にさいなまれた事だろう。そんな窮地で、神に出会う。

「わたしが共にあり、どこへ行っても守り、この地に連れ戻す」との約束を得る。神はヤコブを握り、放さず、導かれる。叔父ラバンのもとに身を寄せるが、この叔父がしたたかであり、ここで訓練を受ける事になる。

ラバンに騙され、レアとラケルという二人の妻のために14年の労働を強いられ、更にラバンの群れを養うために6年間、20年の厳しい辛い労働をする。騙したヤコブは騙される事になる。苦く辛い訓練だ。

やがて神の時が来て、ラバンのもとを去る。故郷に帰るわけだが、自分のして来た事を思うと、エサウが恐ろしい。殺されるのでは。肉の知恵によって、あらゆる策を練り、対応するが、恐怖がどうにもならない。

ヤコブの問題は、兄との対面だけでなく、「人を押しのける者」という根本的な生来の性質、今に至った強固な自我、エゴ、自己中心という罪の問題であったろう。とうとう神が、ヤボクの渡しで、ヤコブを捕らえ、粉々に砕かれる。自分の足では立てず、杖に寄りかかった。

肉の策略と力で生きて来たヤコブが、神に拠りすがる者に変えられた。「あなたの名はもうヤコブと呼ばれないイスラエルだ」と。握った者を神は決して放されず、どこまでも追いかけ、導き、神の約束を成し遂げられる。
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神の約束には力があり神の私達に対する、愛とあわれみは尽きない事を、試練を通して身をもって知って行く。神の取り扱いは厳しいものかもしれないが、必ず変えられ祝福となる。