2010年03月12日(金)

「カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです」Tヨハネ3:12

アベルの供え物は受け入れられ、カインのものは退けられた。自分は受け入れられず、なぜ、アベルだけなのか?妬みは憎しみへと増幅する。カインはアベルに激しい憎しみを抱く。最初から殺害を思い至ったのではなく、心の内に激しい憎悪を抱き続けていた。

神はそれを見られて、「罪が門口に待ち伏せている。それを治めるように」と言われた。カインはこの神の警告に関わらず、弟のアベルを殺害した。罪が門口に待ち伏せている事を知りながら、憎しみがエスカレートするのを制御しなかった。

罪はどんな状況でも、自分を正当化させる。それが罪の性質だ。罪の言い訳をし、自分を正当化して行く時、罪に足をすくい取られ、がんじがらめにされる。この自己正当化が、罪をわからなくさせてしまう。私たちはどうだろう。

許せない気持ちを、どんどんエスカレートさせて行く時、それは憎悪となり、憎しみは相手を心の中で抹殺して行く。どこまでも言い訳をし、理由付けをし、自分の罪を罪と認めないなら、いつしか感覚が無くなってしまう。

そして、心の中での殺人が実際に現実の殺人へとエスカレートする。カインは、正しく献げたのであれば受け入れられているはずだ。神が受け入れられなかったのは、何かが間違っていた。悔い改めて、もう一度献げ直す事ができた。「カインのようであってはいけない」との御声に耳を傾けよう。
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相手がどうであれ、憎しみや妬みを持ったのは自分の罪だ。自分が神の前に罪を犯したことを認識しよう。苦い思いがあるなら目をそらしている罪はないだろうか。その都度すべてを告白し確かな赦しを得て、またそこから従って行こう。