2010年04月11日(日)

「しかし、舌を制御することは、だれにもできません」ヤコブ3:8


舌で失敗したことがあるだろうか。舌は両刃の剣だ。良い実も、悪い実も、どち
らも結ぶ。人を励まし、癒し、生かす事もできるし、又、刃物となり、人を傷つ
ける事もできる。

感情的な言葉は、特に要注意だ。不用意な舌によって、人間関係が破綻したり、
長年の関係を壊してしまう。又、御霊に導かれた言葉は、深い落ち込みの中で、
ひと言葉によって、勇気づけられ、立ち上がれ、立ち直れたりする。

舌は野放しにすると、どこへ行くかわからない。悪口、噂話、無益な言葉、不必
要な言葉、「舌は火であり不義の世界」「少しもじっとしていない悪、死の毒に
満ちている」制御すべきだ。

しかし、誰が制御できるのだろう。「誰にもできません」。自分は全く無力であ
ることを認め、主に拠り頼もう。私たちに舌を制御することは不可能だ。何とか
して制御しようとするが、何度失敗した事だろう。

どうしてこうなったのかと後悔する。不必要な言葉を発し、関係を悪化させる。
それは自分の力で舌を使っているからだ。又、自分の弱さを自覚していない。自
分を知らない。だから祈りの備えもなく拠り頼もうともしない。これが失敗の原
因だ。

しかし、御霊に導かれるなら可能だ。「私の口に見張りを置き、私のくちびるの
戸が守られるよう」祈ろう。黙すべき時には黙し、舌を御霊の支配に委ねよう。
時、場所、相手をわきまえ、最もふさわしい言葉を語らせて下さる。

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肉で舌を用いると、感情に振り回されて、言葉を発してしまい、必ず後悔する事
になる。自己正当化、自分を守るために、舌を使うい、双方で傷つく。「誰にも
制御出来ない」ので、舌が御霊に導かれて、神の恵みを語るために用いられるよ
う祈ろう。