2010年05月12日(水)

「しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:21 



「わたしは世の光です」と言われた主は、光として、この世に来られた。世を照らし、「すべての人を照らすまことの光」は、私たちの人生を照らし、私たちの心を照らし出される。

主が光であり、光が輝いているので、私たちは見ようとするなら、くまなく照らす光に、自分の姿が見え、心の内が見え、何をどうすればよいのかが見える。
見えるので、何をすべきかがわかる。光に自分が照らされている限り、問題無い。罪が見えるので、悔い改めることができる。出来ない事は祈りに持って行ける。

しかし、問題は、光があるのに、光を避けて、見ようとしないことだ。見たくないために、目を閉じる。光があるに関わらず、自分が目を閉じるなら、真っ暗闇だ。光のまっただ中にいて、自分で暗闇を作っている。自分で目を閉じて、真っ昼間に、暗闇だ、暗闇だと言ってるようなものだ。

目を閉じるなら、神が見えない。目を閉じるのは、自分に都合が悪いからだ。肉の思いを、自分の思いを通したいためだ。だから、光から逃げている。神から逃げている。しかし、そこは暗闇だ。神が見えず、不平不満、怒り、思い煩い、妬みの世界だ。

自分が目を閉じていながら、神を非難する。この状態なら、逃げないで、目を開けて神に向き合おう。光に照らされ、悔い改める事ができ、愛に包み込まれていることを知る。
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私達はくり返し失敗する者だ。その時こそ神に背を向けるのではなく、ありのままを打ち明け光の中に留まっていよう。赦そうと待っていて下さっている神が、次の一歩を教えて下さる。光のうちを歩もう。