2010年07月12日(月)

「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」T列王17:16


ケリテ川が枯れた時、エリヤは、主からシドンのツァレファテへ行くように告げられた。そこで、やもめ女に命じて養うと。主の言葉に従い、その町へ行くと、やもめ女に出会った。そこで彼女に水とパンを求めた。

すると、とんでもなく悲惨な状況にあった。彼女は資産家などではなく、最後の一握りの粉でパンを作り、母子で、最後の食事をして死のうとしているという、何という状況だろう。エリヤは何と思ったろう。

目の前の人物は、人を養う事など不可能だ。しかし助けを求めなければならない。人間的に考えるなら、その最後のパンを自分にくれとは、とてもじゃないが言えるわけがない。しかし、エリヤは目に見えるところでなく、情でも、自分の思いでもなく、ただ御言葉に従った。

まず私に小さなパンを作り、その後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで粉は尽きず油は無くならないと。人の思いや情は、神のみわざを妨げてしまう。エリヤは神を信じ、御言葉に立ち、彼女はその言葉に従った。

すると、母子は飢饉の間中、豊かに養われた。神を第一にする時、栄光を見る。自分の思いや情、見えるところが反対方向を向いていても、神の言葉を選択し、信仰によって従おう。その時、神が全責任を取って下さる。
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感情が先に立つのではなく、御言葉を選んで行くなら必ず守られ全てに神様の栄光が現れる。情に流され、あいまいな言葉を口から出してしまわず、必要な時、御言葉に立った言葉を主に信頼して語ろう。