2010年09月11日(土)

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる・・」Tヨハネ5:14

ある人が病気になった。友人が「信仰があれば絶対に病気は直る。疑わないで直
ると信じて神に祈ろう」と言った。しかし、その人の病気は直らなかった。その
人には「信仰」がなかったのだろうか。

絶対に疑わないで信じる、ということが無かったのか。「信仰」を、絶対に疑わ
ないで「思い込むこと」と勘違いしてはいけない。とにかく一分の疑う事もなく、
必死で思い込むことが信仰なのではない。それなら、いわしの頭を信じる事と、
なんら変わりなくなってしまう。

自分の思い込みは、信仰ではない。勝手に都合の良い御言葉を取って来て、成就
すると「思い込むこと」は信仰ではない。それは成就しないので、自分でもわか
るが。

信仰とは、神のお心、ご意志がすべてであり、自分の思いでなく、神の御心を求
めて行なって行くことだ。自分が良かれ、これが最善と思うことと、神のみ思い
は、時にかなり違っている。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わ
たしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」神の道は遙かに高く、み思いは高
い。

私たちの遙か先をも見通しての御心ゆえ、私たちの理解を越えていることもしば
しばだ。自分の思いとは、大幅に違う事を認識していよう。
「初めに神」「神から発し」の通り、「初めに自分」「自分から発し」で無いな
ら、必ず「神によって成り、神に至る」そして、神の栄光が現れる。「初めに自
分」で、動き回っていないか省みてみよう。

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自分の思いを遂げる事ではなく、神のみ思いに、自分を沿わせて行くことが信仰
だ。自分の思いはあるが、神のみ思いと違っているなら、自分の思いを軌道修正
し、神のお心に合わせて行く。その時、その願いは、すでに答えられたと知る。