2010年11月11日(木)

「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい」ルカ8:48

                    
12年間もの間、長血を患った女性がいた。律法により不浄とされ、礼拝参加も許されなかった。長きの肉体的苦痛と共に、精神的、霊的苦しみ、又、経済的にも、あの医者この医者と、少しでも良いと聞けば駆けつけ、あらゆる医者にかかり財産使い尽くし、破綻状態だった。将来に何の希望もない。どんなに辛く苦し
い絶望状況だったろう。

主の着物にでも触れば、癒されるのではと求めた。それは断崖絶壁にある、必死の思いであり信仰であった。なぜなら、不浄ゆえ、まず他人に触れる事は不可能なはずであり、にも関わらず、そっと隠れて主に触れようとした、諦めない、屈しない信仰であった。もし信じなければ、最初から触りなどしない。

途端、癒された彼女は、密かに去ろうとした。しかし主は、「わたしにさわったのは誰か」と見渡され、捜され、もう隠しおおせないと悟った彼女は、進み出て、皆の前で、事の次第を話した。人の後ろに隠れ、人混み紛れ込み、おどおどしていた彼女が主の御前に、皆の前に出て語ったのだ。どんなに勇気の要った事だろ
う。
主は彼女をこのまま去らせず、彼女の口から信仰の告白を引き出そうとされた。なぜなら彼女には信仰があったからだ。彼女を光の中に出し、信仰告白させ、その信仰を確かなものとされた。私たちはどうだろう。今、あなたも何かの示しを受けているなら、その示しに応答しよう。 
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病を癒されて終わりではなく確かな信仰へと導かれた。私達も主に出会い、光の中に出され主とともに歩む人生を与えられた。主はいつも示して下さっている。その通りに恐れず主の前に出て行こう。