2011年09月11日(日)

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘 れるな」詩篇103:2


心配症だろうか。まだ起きてもいない先の事を、ああなったら、こうなったらと
思い煩っているだろうか。主は「何も思い煩うな」、いっさい思い煩うなと、言
っておられるに関わらず、くよくよと思い煩ってしまう。

「思い煩い」と「平安」は絶対に同居しない。思い煩う途端、心は暗くなり、落
ち込み、沈み込み、今、目の前のする必要のある事柄をする気力が奪われる。又、
私たちは、だいたい失ったものを数え、無いものを数え上げる。あれが無い、こ
れが無い、あれもこれも出来ていない・・心はネガティブに落ち込んで行く。

主は、上を見上げて、主をほめたたえよ、すべての事について感謝せよ、と言わ
れる。失ったものを数えるのでなく、今、与えられているものを感謝するなら、
どんなに心が引き上げられるだろう。そして、主が良くして下さった一つ一つを
思い出し、尚も思い出し、数えて、数え上げて感謝する時、自分が変えられる。

今の状況を感謝する事は、主の支配を認めることであり、今の状況を受け入れる
ことであり、サタンの足場を崩してしまう。主はそこに力強く働かれる。環境を
変えるのでなく、目の前の相手を変えるのでなく、自分が変えられて行く。感謝
を献げて行く時、不思議が起きる。状況は変わらないが、心が平安にされて行く。
心に安堵が臨む。

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ネガティブで落ち込んでいる時は、全く感謝からかけ離れている。ますます否定
的なものしか見えず、祝福が全く見えない。目の前の一つ一つを感謝する事に目
を向け、意志を向けて行くと、視点が変わる。そして、祝福が見えて来る。