2012年02月10日(金)

「高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ・・紛争が生じる」Tテモテ6:4

           
御言葉によると、高慢になった人は、何一つ悟らないとある。そして、神と人に疑いをかける。信じようとせず、心を開こうとしない。又、誰、それがどうした、こう言ったと、ことばの争いをする。絶えず人を見ていて、人と比較するので、そこから妬み、競争心、敵対心が起こる。

そして、妬みを持つと、人の幸せを喜ぶ事ができない。受け入れる事ができない。プライドが高いので、自分が上に立っているので、聞く耳がなく、何かにつけて人と争う。自分が正しいので、人が間違っている事になり、人をそしる。

同じく上に立つ権威に従わない。へりくだりが無いからだ。人を信じようとせずに、悪意の疑りを人に向ける。こうなら、絶え間のない紛争が当然になってしまう。これらすべて、「高慢」の罪から来ている。

心に平安や喜びが無い時、高慢の罪に陥っていないか。「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」美の極みと言われた、明けの明星が、神のようになろうと、霊的に高ぶったため、天から地に落とされ、悪魔になった。

悪魔とは、高ぶりの化身だ。高ぶりがある時、主からの祝福を受けることができない。へりくだるとは、悔い改めることだ。自分も間違う者だ。神の恵みによって今がある。まず主の御前にへりくだる時、人への対応が変えられる。そして、実を結ぶ者とされる。
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おごり高ぶり、思い上がり、全てを判断できると思う者は、人に害を与えても、自分は何一つ大切なことを悟れない。恐ろしいことだ。表に出さなくても常に高慢の罪を抱えている。気づけたなら悔い改め、謙遜に神様の前にいよう。