2012年03月12日(月)

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」マタイ6:21

あなたの「宝」とは、富、金銭に限らず、名誉、地位、能力、人の評価、称賛等、その人にとって無くてはならぬ、非常に大切なものの事だ。命ほどに大事なものだ。そして、財産、富、栄誉、地位、称賛、能力、それ自体は何も悪いものではない。罪でも悪でもない。しかし、主は、それらを「宝」とするな、拠り所とし、執着し、人生の判断基準とするな、と言われる。

「自分の宝は、天にたくわえなさい」地上のものに執着せずに、神に望みを置き、天国とそこでの素晴らしい報いに望みを置くようにと。その理由は「虫とさびで、きず物になり」地上の宝は、虫やさびで、だめになり、朽ちてしまう。高価な衣服が虫に食われた経験があるだろう。地の物は虚しい。

又、「盗人が穴をあけて盗み」名誉、地位、賞賛は永遠ではない。富も持って死ねない。永遠のためには何の価値もない。そして「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」これは重大だ。宝が地上のものであれば、心は地に縛りつけられたままだ。決して天に、神に向く事はない。

貪欲は底がない。幾ら持っても足らない。満ち足りるという事がない。逆に言えば、心を神に置きたければ、あなたの宝を・・時間、富、労力を、神に献げて行けばよい。そうすれば、必然的にそこに心があることになる。心は宝のある、天に、神に向いて行く。
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天に携え持っていけるのは、神からの賞賛を受けるものだけだ。この世の価値観に影響されやすいから、最大の関心事やよりどころが何処にあるのかと吟味してみよう。今は見えていないが神からの報いに心を向けよう。