2012年05月12日(土)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らい となさいました」創世記50:20



ヨセフは、人の悪でさえ、神は、良いことにして下さったと言った。人が邪悪な
思いで、私たちに悪を計ったとしても、それすら主が介入され、良いこととして
下さる。それなら、本当は恐れる事は無いのではないか。

ヨセフが、兄たちの悪巧みにより、エジプトに売られた時、「主がヨセフととも
におられたので」主人に愛され、厚意を得た。しかし、一転、無実の罪で投獄に
なってしまう。奴隷より更に悪い囚人の身だ。だが、その牢獄でも、「主はヨセ
フとともにおられ」監獄長の心に適うようにされ、囚人を世話を任された。

そして、「主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくだ
さった」。時に、状況がどんどん悪い方に向かう事を経験する。人間的に見るな
ら、主は一体どこにおられるのか、共におられないのではと思ってしまう。しか
し、「主はヨセフとともにおられた」。

私たちも同様であり、マイナスの事態が起きる時、はっきりと「主がともにおら
れる」のだ。すべての事が、主の御手の中にあり、主の主権と支配の中にあると
は、何と安心なことだろう。「永遠の腕が下に」、そして、そのような中で、主
に信頼して行く時、八方ふさがりの、最悪の状況だとしても、それを良いものに
変えて行って下さる。主を信じ、そこに立っていよう。

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病気、リストラ、経済的困窮 別離・・一見マイナスの事態が起きた時、主がとも
におられないように感じ、見捨てられたように思ってしまう。しかし、確かに
「主は共におられ」て、良いことにして下さる。愚痴と不満で終わるなら、同じ
事の繰り返しだ。今回は信じてみよう。