2012年09月08日(土)

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ローマ12:15



泣く者といっしょに泣くのは、日常生活でも経験する事がある。映画を観て感情
移入して泣く。余りにも悲惨な報道にも、同情やあわれみの気持ちが出て来る。
又、泣く者と共に泣くのは、自分が優位に立っている事なので、まだ出来やすい
と言われている。肉にでもできるのだ。
しかし、これは御言葉の言っていることではない。御霊の導きによるものでは無
く、相手の慰めにはならない。御霊に導かれない限り、何一つできない。

そして、喜ぶ者といっしょに喜ぶことが、非常に難しいと言われている。肉には、
根深い妬みの性質があるからだ。どうしても比較で人を見てしまい、シーソーの
ように感じ、誰かが賞められたなら、自分がけなされたと思ってしまう。

誰かに幸せな事があるなら、羨ましさで一杯になる。同期の者が、先に出世した
らどうだろう。素直に喜べるだろうか。妬みが出て来てしまう。ある人が友人が
合格で、自分が不合格だった時に、複雑な思いで、どうしても喜べなかった。

心重く平安は無い。主の御心は喜ぶ者と一緒に喜ぶことだ。「喜ぶ事ができませ
ん」と正直に祈った。すると、自分には出来ないが、意志を向けて、主に喜ばれ
る選択をしたいと、思いが変わった。そして、意志で祝福の言葉を伝えた。

すると、相手は非常に驚き、その事をことのほか喜んでくれた。相手は自分には
出来ないと言い、それは良い証しとされた。自分にはできないと、まず主に祈ろ
う。人にできない事が、主にはできる。

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御言葉は、御霊によらなければ実行できない。どんなに頑張っても不可能だ。
「出来ません」「無理です」と、自らの姿を認めて、助けを求めて祈ろう。御霊
の働きにより、御言葉を実行させて下さる。自分の力でない、御霊の力を経験す
る。