2012年12月12日(水)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」ピリピ2:13


私たちは、主のみこころを行ないたいと願う。主は、私たちの内に働いて志を立てさせて下さる。御心にかなった思いを与えて、私たちを導かれる。主は思いを与えられるが、自分の思いも湧き上がる。主からの思いか、自分の欲による願望か、必ず祈りが必要だ。でなければ、自分の欲望や、自分に都合の良いことを、主の御心と勘違いしてしまう。見分けるために、その思いは御言葉の原則に合致しているかは、大切だ。御言葉と矛盾する導きは決して無い。

御言葉に反していないか、そして、それは主の栄光が現れるか、周囲の人の徳を高め、祝福となるか。大きな事柄は、時間をかけるとよくわかる。自分の思いなら、しばらくは続くが、長くは続かない。御心でない思いは消えてしまう。祈り続けることができない。しかし、主からの思い、志は、時間を経ても変わらない。成し遂げられるまで、思いがあって、祈り続けることができる。

突発的に、ああすれば、こうすればと、良いアイデア、善なる思いが湧くが、翌日消えてしまっているなら、主からの思いではない。又、良い思いが湧き、祈るが、翌日その祈りも忘れてしまっているなら、自分の思いだ。主は「志を立てさせ」て下さると、同時に「事を行わせて下さる」。行なう力は、主から来る。主からの志なら、私たちを用いて、主が成し遂げて下さる。
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こころに浮かんだアイデアは御心かどうか、時間をかけて祈って見つめて行こう。御心ならやり遂げる力も必ず与えて下さる。これは御心だとひらめいても祈り続けられない志がなんと多かったことか。