2013年04月11日(木)

「あなたが繁栄しているときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『わたしは聞かない』と言った」エレミヤ22:21


                           
「わたしはあなたに語りかけた」主の側では語り続けて下さっている。メッセージをずっと聞いているのに、なぜ自分の事として聞こえないのか。物理的に、音としては耳に聞こえているが、心の耳には入って来ない。拒否しているわけでなく、聞きはするが、心に御言葉の種が落ちる前に、悪魔に奪われて行く。右から左に流れて行く。なぜ入らないのか。それを本気で受け取る気がない、つまり、従うつもりが無い。

聞く事は幾らでも聞き、良いお話と思うが、犠牲を払うつもりは無いから、心が受け取らない。無意識に御言葉を除けてしまう。責任を取りたくない。御言葉が心にぐいぐい迫る時は、本気で御言葉に向き、聞き従おうとしている時だ。どうであれ、自分が変わろうとの思いがある時、御言葉が心に強く響いて来る。主の言っておられる事がわかる。種蒔きの例えの土地の通り、自分の側の心の態度は重要だ。

心の奥では拒んでいないだろうか。無意識かも知れない。うすうす感じているかも知れない。あなたの心はどうだろう。実は聞こえては困るのだろうか。成長は気づきから始まる。気づきは御霊の働きだ。本当の姿に気づく時、ありのままの心で、主に向かおう。御声を本気で聞こうとしていない事を、主に告げよう。その時、主が働かれ、私たちは必ず変えられて行く。
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拒否などしてないと思っていても、御言葉から何の影響も受けず、ただ聞いて、御言葉を右から左へ捨ててしまっていないだろうか。信仰生活を漫然とした習慣にせず、今一度、御言葉を自分の事として受け取っていこう。