2013年05月12日(日)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される のです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」ヤコ ブ1:14



私たちは信仰生活で、必ず試練や誘惑に会う。「試練」と「誘惑」
の違いは何なのだろう。御言葉によると、信仰の「試練」は、金よ
りも尊いもので、主の現われの時に称賛と光栄と栄誉に至ると。試
練は良いものであり、神から来るものであり、信仰の成長とされ、
天での報いとなる。神に近づけられる。

しかし、「誘惑」は神からではない。「誰でも、神によって誘惑さ
れたと言ってはならない。ご自分で誰も誘惑なさることはない」。
私たちの内にある「欲望」に従って行くので、神から離れることに
なる。「人は、自分の欲に引かれ、おびき寄せられ、誘惑される」。

誰のせいでもなく、自分の欲望から来る事であり、自分のせいだ。
サタンはその欲望に狡猾、巧妙に誘惑をしかけてくる。罠にかから
ないためには、どうすればよいのか。何より大切な事は、自分は弱
いと、自らの弱さを認めることだ。

いつも誘惑を受ける箇所は同じであり、その弱い所をよく自覚し、
誘惑の状況をよく把握し、普段から祈っていることだ。サタンが来
た時に、御霊が気づかせて下さり、拠り頼むことができる。又、誘
惑になる事態や場所を避ける事も大切だ。誘惑になる状況から「逃
げる」ことだ。その場に身を置かない。

試練は忍耐するが、誘惑は忍耐するのでなく、即、逃げることだ。
拒否する。誘惑から逃げずに、拒絶せずに、心の中でみごもると罪
を犯してしまう。御言葉は力だ。自分の思い、自分の気持ちでなく、
御言葉に従う時、御霊の助けがあり、誘惑に勝利できる。

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試練は受け入れ、忍耐する時、主のかたちへと変えられて行く。誘
惑は受け入れてはならない。拒否し、逃れることだ。誘惑になる状
況を避け、足を踏み入れず、サタンに機会を与えないよう、そして
心して祈っていよう。