2013年06月10日(月)

「恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそイスラエルの王となり・・」Tサムエル23:17


サウルは、女たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌った事で、激怒しダビデをひどく妬んだ。妬みは憎しみへと増幅し、執拗に命を狙った。そんな時、ダビデはケイラの人々をペリシテの手から救った。サウルがそれを耳にし、ケイラに下り、ダビデを封じ込めようとした。ダビデは、ケイラの人々がダビデを裏切り、サウルの手に渡す事を、神より告げられ、再び荒野に逃げる。

ダビデの逃亡を知ると、サウルは討伐を止めた。サウルは執拗にダビデを追うが、神が、ダビデをサウルの手に渡されなかった。ダビデは荒野に潜伏し、いつ殺されるかわからない、まさに死と隣り合わせの恐怖だ。サウルは王であり、ダビデは僅か600人の部下がいるだけだ。いざとなればサウルは国民全体をも招集できる。しかしその時、ヨナタンがダビデのもとへ来て「神の御名によってダビデを力づけた」。「恐れることはない。父の手があなたの身に及ぶことはない。あなたこそイスラエルの王となる」と。神がダビデをサウルの手に渡されないと。

ヨナタンは目の前の状況ではなく、神の約束を見ていた。王の息子が、ダビデに「あなたこそが王で、自分は次に立つ者」と言った。ヨナタンの素晴らしい信仰だ。「神の御名によって力づける」とは、神の約束と御心に基づいて、力づけることだ。神の御旨のみが成就する。見える所、どんなに危機的状況であっても、それは神の主権と支配の中だ。平安でおれる。
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弱った状況から力づけられ、強められるのは、肉の言葉ではなく主の確かな御言葉の約束や主と交わりから来る霊的な励ましだ。どんな状況でも主の言われた言葉を聞いていこう。