2013年08月12日(月)

「しかし、主のことばを心に留めなかった者は、しもべたちや家畜 をそのまま野に残した」出エジプト9:21



「真に聞く」ということは、「従う」という事とセットだ。本当の意味で聞くなら、必ず従うという行動が伴う。単に物理的に耳に聞こえている事と、心の耳でしっかり聞いて行動を伴う事は、全く別のことだ。例えば、緊急地震速報が出たらどうだろう。今から数分内に大地震が起こるので、身の安全を確保するようにと言われたら、真剣に聞くのではないか。そして直ちにそのように行動するのではないだろうか。それが真に聞くという意味だ。

主の御言葉を聞く時に、真に聞くなら、必ず行動が生じる。従うことが無ければ、真の意味では聞いていない。物理的に耳で聞いているだけだ。だから行動を起こす事はない。モーセは主から示され、エジプトに激しい雹が降るから、すべての家畜を避難させるよう告げた。でなければ野にいる人も家畜もみな死んでしまうと。その時に、主の言葉を恐れた家臣たちは、しもべと家畜たちを避難させた。

しかし主の言葉を恐れない家臣たち、心に留めなかった者たちはしもべや家畜をそのまま野に残した。そして言葉の通り、極めて激しい雹が降り、野にいるすべてのものを打った。明暗がはっきり分かれた。真に聞いた者は行動を起こし、物理的にだけ聞いた者は行動を起こさなかった。生死を分けた。日々、御言葉を真に聞いているだろうか。物理的にだけ聞き、何の影響も受けないだろうか。
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御言葉も信仰を持って聞かなければ、ただの流れて行く世の言葉と同じように扱っている。すなおに従いますの態度で、畏れをもって主の御言葉を聞こう。必ず豊かな実を結ぶ。