2013年12月12日(木)

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである・・ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」Uコリント12:9


み言葉の言う弱さとは、自分の限界を知り、認めているということだ。この世の言う弱さは違う。この世界は比較の中におかれ、比較の中で生きている。人より仕事ができない、勉強ができない、運動ができない、テキパキ処理できない、対人関係がうまくできない、そんな弱さは悪という価値観だ。どこまでも競争社会であり、それなら負け組ということになる。

そのようなこの世の価値観、古い価値観の影響を受けると、できない自分、だめな自分、人の持つ幸せを持たない自分、人より劣る自分は敗北者になり、まず自分で自分を受け入れることができず、認めることができない。問題はここだ。自分が自分を裁き、受け入れず、認めない。だから人を決して認めることができないし、又、自分の弱さを、人にも受け入れて貰えないと思い込んでしまう。

そのため、人に弱さを隠して行く。弱さなど絶対に見せられない。競争なのだから、弱みを見せると負けになる。人からの尊敬を失い、自分の価値が下がると考える。自分で自分を縛り、窮屈にしがんじがらめにしている。喜びが無く、常に人目を気にする。人が神になっている。

しかし御霊の世界は違う。正反対だ。神の力は弱さの内に完全に現われる。神の愛や、力や、恵み、神の支えや、助け、それらを「弱さ」の中でこそ体験する。身をもって知れる。自らの弱さを認める時、解き放たれる。それを妨げているのはプライドだろうか。
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自分の弱さに気づいたら感謝しよう。そして弱い自分の内に現れる主の力を信じていよう。主は私たちの弱さを全て知って下さっている。人並み、人目とは全く違う領域に主は解放し導いて下さる。