2014年02月09日(日) 「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなので す」詩篇73:28
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなので す」詩篇73:28
人は、自分の欲しいものが手に入ると、幸せだと思いがちだ。欲し くてたまらない物を手にしたなら、欲望が満たされ、心が満たされ、 喜びが来ると思っている。だから、自らの欲望を満たそうと必死に なる。喜びが欲しいからだ。 しかし、決してそうではない。肉の欲望を満たそうとすると、ます ます心は渇く。人々が心の満たしを求めて、次から次へと目新しい ものを求めて、さまようのはそのためだ。欲しいものを手に入れる がて、心はやせ衰える事を経験する。満たされないことを知る。 ある人が証しした。中学生の時、ギターが欲しくて〃、親に誕生日 に買ってやると言われ、指折り数えて待った。当日は授業など全く 頭に入らず、もう喜びはち切れんばかりに帰宅した。だがそれを手 にした途端、気持ちがスーと冷めて、心が虚無感で一杯になったと。 サマリヤの女性は、5回の結婚と離婚を繰り返していた。そして主 が出会われた時は、結婚しておらず同棲中だった。彼女は男性が自 分を幸せにし、心を満たしてくれると信じていた。しかし、思うよ うに心の満足が得られない。そのために結婚を繰り返した。 形はそれぞれ違うが、私たちもどうだろう。名誉が、富が、仕事が、 趣味が、人が・・自分を幸せにし、夢を与え、心の満たしを与えてく れると思っているだろうか。しかし、神以外の何を埋めても、心が ピッタリと埋まることは無い。 心の空洞は、神のかたちであるので、自分自身を明け渡して、神を 心の王座にお迎えした時に初めて、心がピッタリと埋まる。そして 喜びが満ち溢れることになる。私たちの幸せは、ただ神から来る。 神に、近くいる事を求めて行こう。 ・・・・・・・・・・・・ 欲望が満たされることが、満足であり、幸せだと思ってしまう。 欲しいものを手にするなら、心が満たされると。しかし御言葉によ ると、そうではなく、幸せも満足も神にあり、神に満たされる時に 心が喜びに溢れる。