2014年03月11日(火)

「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1 

 

もし、あなたのそばに過ちに陥った人がいるなら、そのままにしておかないで、その人を正してあげなさいと、主は言われる。「御霊の人であるあなたがたは」とあり、大事な事は、自分自身が御霊に導かれている必要がある。まず何よりよくよく祈り、御霊の示し、御霊からの言葉を受け取ることが大切だ。

その時、御霊がこの事をさせて下さるという確信が与えられる。
そのため心に平安が来る。確信と平安をもって事に当たれる。そして自分もよく整えられ、「柔和な心で」「愛をもって真理を語る」ことが大切だ。ただ真理の剣で刺し貫いて、責めるのではなく、自分も弱い者であり、同じ状況になれば、罪を犯すや知れず、自分が相手の立場であるならとの思いやりを持って語る。

そうする時、御霊が働かれて、相手の心に響き、相手に間違いを示し、悔い改めの心を与えて下さる。ダビデを悔い改めに導いたナタンは、神から示され、神に従いその任に当たった。彼は、ダビデの事をよく考え、ストレートでなくワンクッション置き、羊のたとえを用いて語った。ダビデはその話により自らの罪の重大さがわかった。

わかった時、主の御前に心底悔い改めた。瞬間、罪の赦しが臨んだ。ナタンも、相手は王であり機嫌を損ねるなら、即、打ち首になるかも知れない状況であり、信仰によって主に従った結果だった。そのナタンは用いられ、神からの大任を果たした。主からの示しがある時には従おう。又、人の忠告には真摯に耳を傾けよう。
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主によって罪を赦されたとの謙遜な感謝と、絶えず失敗を繰り返す罪人に過ぎないとの自覚が、人のあやまちを正そうとする時に自分にあるだろうか。御霊に導かれるまでよく祈らなければならない。