2014年04月11日(金)

「それから、彼に次のような主のことばがあった。『ここを去って東へ向かい・・ケリテ川のほとりに身を隠せ』」T列王17:2


エリヤは神に従い、アハブ王の前に出て、主が雨を止められる事を告げた。その後、神はエリヤにケリテ川のほとりに身を隠すよう命じられた。アハブからかくまうためだった。「主のことばの通りにした」。エリヤは主の言葉に従って、ケリテ川の畔に逃れた。目の前の一歩一歩を、自分の思いでなく、主の言葉に従った。

しかし、烏に養わせると言われるが、そんな事があり得るのだろうか。ゴミに群がり、食物を貪る烏が、食物など運んで来るのか。それは、神の主権のもと、神がエリヤを養うとの意味だった。日照りで、日増しに枯れて行くケリテ川の畔で、自分には何もどうにも出来ない。エリヤは自分の無力を心底知り、神ご自身に拠り頼む信仰の訓練とされた。

序々に川の水も干上がって来る。どんなに心細い事だろう。「ケリテ川のほとり」と命じられていて、水を求めて他へ行く事もできない。水はかれて来た。このままでは死んでしまう。しかし、エリヤは自分で動かず、主の次の言葉を待った。「すると、彼に次のような主のことばがあった。シドンのツァレハテに行き・・」必ず、主からの次の導きが臨む。

主に拠り頼み、従おうとする時、目の前の進むべき一歩が示される。そして、その一歩に従うなら、また次の一歩が示される。今、目の前の一歩を示されていたら、それに従おう。従った時に、また次の道が示される。
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先の先まで考えて平安を失うより、主が備えて下さっている今日の導きを信じて、喜びのうちに一歩踏み出そう。人の心に思いも浮かばなかった次ぎの道が待っている。