2014年06月11日(水)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18 




主を信じて救われた時に、御霊が内住して下さった。私たちの内に
は御霊がおられる。だが、古い肉の性質もまだあるので、どちらも
が私たちを引っ張る。例えば、一日の始めに、「さあ、祈って一日
を始めよう」との声がする。しかし、別の声が聞こえる「時間が無
い。祈っている場合ではない。早く出かける準備を」「今は祈る気
分ではない」。どちらの声に聞いて行くだろうか。

対人関係で、相手の言葉に腹が立つ時、一つの声は「言い返せ。ス
ッとする」別の声は「まずとにかく主に祈ろう」。又、人を助ける
ようにと導かれる時、「犠牲を払うのは大変だ。止めた方がよい」
いつも御霊の声と肉の声が聞こえる。私たちは、意識していなけれ
ば、だいたい肉の声に従ってしまう。肉の思いの方が楽で、自然に
感じ、気持ちに合致して来る。だから、御霊に導かれ、恵みの中に
生きる事ができず、いつも肉の歩みを繰り返してしまう。

又、人を愛せない時、心に平安がなく、辛く、悶々状態だ。愛そう
と頑張るが、愛する事はできない。そんな時は、出来ない事を認め
て、御霊の助けを求め、委ねて行くことだ。御霊は、出来ないと認
める者を助けて下さる。御霊が働いて下さる時、肉の力でなく、御
霊の力によって愛することができる。頑張りでなく、平安の中で導
かれて行く。
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御霊の導きをすぐに打ち消す強い肉の声がかぶさって来る。出来な
いことを認めてしまおう。出来ません助けてくださいと、そこで主
に関わっていただこう。肉には出来なかった御霊の実を主が与えて
下さる。