2014年08月11日(月)

「そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」ヨハネ21:6



信仰生活で大切な事は、主の言葉を聞いて、その言葉に「従う」
ことだ。御言葉をどれほど聞いても、聖書知識が増えても、「従
う」ことをしなければ、何も変わらない。ベテラン漁師ペテロたち
が、舟に乗り込み、一晩中漁をして、その日全く収穫が無かった。

その時、誰かが岸辺で「舟の右側に網をおろせ」と叫んでいる。
その声を聞いて、言われる通りに、舟の右側に網を降ろしてみると、
何とおびただしい魚がとれた。その時、以前に全く同じ光景に出会
った事を思い出し、それが重なり、「主です」ヨハネが主だと気づ
いた。主の言葉に一歩従った時、驚くべきみわざを見た。

以前も一晩中働いて全く魚がとれなかった時、「深みに漕ぎ出して、
網をおろして魚をとれ」との言葉に従った時に、大漁の奇跡を見た。
舟の右に網を降ろす事も、深みに漕ぎ出す事も同じだ。「到底、魚
がいるなどと思えない」「無駄な事を」「とれるはずがない」「あ
り得ない」様々な人間的思い、判断、今までの経験、知識が邪魔を
するだろう。

見えるところと、神の言葉が正反対だ。自分の思い、判断と神の言
葉が相容れない。でも「そこで彼らは網をおろした」。無条件に御
言葉に従った。すると、破格の祝福にあずかり、大きなみわざを見
た。今、もし御言葉と見えるところが正反対で、ちゅうちょしてい
るなら、御言葉に従おう。
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一つの御言葉に従おうとすると自分の弱い部分がよくわかる。そこ
を祈りながら、また進んでいける。信仰の成長を祈りながらも網を
おろさず留まっていないだろうか。