2014年09月11日(木)

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」伝道7:14



                       
人生には必ず「順境」と「逆境」がある。順境ばかりは無く、逆境
ばかりも無い。「神のなさること」であって、どちらも主から来る。
しかしこの世では異なる。逆境は悪、順境が善、との価値観なので、
逆境を恐れるゆえに信心する。家内安全、商売繁盛、無病息災・・、
悪い事が起こらないためだ。

信心していて、悪い事が起こるなら、信心の意味がないと。そんな
信心は無駄であり、世では、どこまでも自分の利得のための信心だ。
そのため順境の時も実は恐れで一杯だ。これが続くはずがないと。
しかし逆境が神のなさる事であれば、それは善で、良いものだ。主
の目的と意図があり計画がある。主に行き当たりばったりは無い。
偶然も無い。

主は逆境により私たちを鍛錬し、きよめ、造り上げて下さる。必ず
後に「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした」と言えるよ
うにされる。何という恵みだろう。「あなたのおきてを学んだ」と、
霊的成長を与えられる。「逆境」が神からならば、私たちに何も恐
れはない。「後の事をわからせないため」と、後の事は伏せておら
れる。

もしいつ病気になり、失業し、いつ死ぬか、予めすべてわかったら
どうだろう。自分や家族の死ぬ日がわかっていたら?伏せられてい
るのは恵みだ。一生涯、どんな時も主を見上げ、主に信頼して平安
に歩むためだ。先の事は、主に委ねて生きる時、平安の中に守られ
る。順境も逆境もどちらも、主から出ているので、私たちにとって
は祝福だ。
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逆境も主からのもので、今はわからなくてもそこに深い意味がある
と知っているのは何と心強いことだろう。後になるとそれは辛い思
い出ではなく、ひとつひとつのプロセスさえ主への深い感謝になっ
て残っていく。