2014年11月11日(火)

「偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」マタイ7:4 


まず主は、「さばいてはいけません」と言われ、人の目のちりを取
ろうとする、自分の目の梁に気がつかないのかと。「自分の目には
梁があるではありませんか」。梁があると。そして、「偽善者たち」
と言われている。

私たちは、相手の目のちりを取ってあげたいと言うが、人を裁く時、
実は「その人を愛し、助けたい」と思っているのではない。そうでは
なく、「その人をやっつけたい」「こらしめたい」と思っている。
そんな心を隠しながら、相手のちりを取り除くことなど出来ないと。

相手の微少の欠点はよく見えるが、自分の比較にならないほど大きな
罪、「裁く心」は見えていない。それこそが「梁」だと。自分の内を
しっかりと見つめる時に、必ずそこにある「裁く心」に気づかされる。
偽善である事に気づかされ、その時に、へりくだらされる。

自分の罪深さを知り、自分自身のその大きな「梁」を取り除ける時に、
初めて、相手のちりを取り除くために用いられる。そうでなければ、
相手のちりを取り除くことなど不可能だ。相手に拒絶されるか、怒り
を招くか、関係が悪化するばかりだ。

悔い改めて、まず自分の「梁」を取り除くなら、はっきり見えて、相
手の益のために用いられる。間に合う器とされる。その時に、相手の
ちりを取り除けないのではなく、取り除くことができると。
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人のちりが見えたとき、寛容になれない自分がいるならよく吟味して
みたい。裁いてはいないだろうか。自分の欠けや足らなさが見えてい
るだろうか。