2015年01月12日(月)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24


パウロとシラスは、福音宣教の折りに捕らえられ、投獄された。着
物をはいでむち打たれ、何度もむち打たれて、投獄された。足かせ
に、暗い牢獄、むち打たれ、走る激痛、その中で、彼らは「神に祈
りつつ賛美の歌を歌って」いた。すると他の囚人たちは聞き入って
いた。

その状況で、不平も不満もなく、湧き上がる賛美に、囚人たちは、
この世のものとも思えないものを見た。地震で、戸が開き、鎖がは
ずれても、誰一人逃げず、彼らに従った。星野富弘さんは、脊椎損
傷のため、首から下はいっさい動かない身体になってしまった。
深い苦しみと悲しみ、絶望の中にいたが、聖書に触れ、救いに入れ
られた。

主に出会い、人生が一変した。ある時、口は動くので、絵筆を口に
くわえて、花の絵を描き、花々の絵を描き続けた。この絵と心から
湧き出る詩が、沢山の人々の心を捕らえ、深い感動を与えている。
多くの傷ついた人々の心を癒し、温めている。彼は神を信じたか
と言って、奇跡的いやしがあったわけではない。状況は何も変わら
ない。

神を信じても良い事はないのか。いや、そうではなく、むしろ、彼
が不自由な身体という御心をしっかり受け止め、受け入れ、その中
で感謝して生きているからこそ、人々を励まし、力づけ、引き上げ
て行く事が出来る。十字架を嫌い、避け、逃げるのでなく、十字架
をしっかり負い、御心を受け入れて生きるなら、それは証しとなり、
誰かの心を捕らえる。神の栄光を現すことになる。
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今年も試練は必ず与えられるだろう。そこに辛さや苦しさはあるが
不平や不満はないと主からのものを受けとり、主にあって喜んで
歩んで行きたい。