2015年06月11日(木)

「・・御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげ なさい。また自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」ガ ラテヤ6:1



もし、過ちに陥った人がいるなら、そのままにしておかないで、そ
の人を正してあげなさいと、主は言われる。「御霊の人であるあな
たがたは」とあり、その場合、大事な事は、自分自身が御霊に導か
れている必要がある。そのために、まずよくよく祈り、御霊の示し、
御霊からの言葉を受け取ることが大切だ。

その時、御霊がこの事をさせて下さるという確信が与えられる。そ
れゆえ心に平安が臨んで、平安をもって事に当たれる。そして自分
もよく整えられ、「柔和な心で」「愛をもって真理を語る」ことが
大切だ。愛が無ければ、真理の剣で、逆に心を刺し貫いてしまう。

愛は、自分も罪人であり、同じ状況になれば、罪を犯すかも知れず、
もし自分が相手の立場ならと、思いやりを持って語る。そうする時、
御霊が働かれて、相手の心も開かれ、御霊が間違いを示し、悔い改
めに導いて下さる。

ダビデを悔い改めに導いたナタンは、神からの示しにより、神に従
ってその任に当たった。ナタンは、相手の事を考え、ダビデによく
わかるように、ストレートにでなくワンクッション置き、羊のたと
えを用いて語った。

ダビデはその話により、自らの罪の重大さがわかった。わかった時、
王であるにかかわらず、へりくだって主の御前に悔い改めた。その
瞬間、罪の赦しが臨んだ。ナタンは用いられ、神からの大任を果た
した。私達も示されたなら、よく祈り、御霊の導きを受け、整えら
れて、従おう。主は用いてみわざをされる。

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語る時に、もし、愛がないなら、うるさいシンバルになってしまう。
相手の心に届かない。自分では出来ないので、よく祈って御霊に導
かれる事が必要だ。「愛をもって真理を語り」導かれたなら、語ら
ないのでなく、語る事が大切だ。