2015年09月11日(金)

「彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです」ルカ20:46



律法学者たちは、外側は主のためと言いつつ、実は自分のために善
行をしていた。ただただ、人から良い人と思われたいがためだった。
自分たちは特別の人間だとのプライドがあり、そう思いたかった。
彼らは、人々の目を恐れ、人々の目を気にして生きていた。神でな
く、人が相手だった。

律法学者と同様に、私たちにも肉の性質があり、人に認められたい
根深い肉がある。ある人が、仕事上の重要な地位に抜擢され、内心
嬉しかった。そんな時、結婚式のレセプションで、司会者が、自由
な雰囲気の中で、管理職の面々にコメントを求めて回った。自分も
とっさにコメントを考えた。しかし、自分には求められず、その時
にムッとなり、怒りが湧いた。

帰宅後、主と交わる中で、「会堂の上席や宴会の上席が好き」の通
り、皆の注目を集め、良いかっこうをしたい、人前での見栄であり、
虚栄心である事を示された。会堂や宴会の上席自体が問題なのでな
く、自分の栄誉のために求め、人の上に立ち、人前で面目を立てた
いがために望むことが問題だ。

真の問題は、心が空虚であり、その満たされないところを、人から
愛されたいがために、人に認められること、人からの評価、賞賛で
満たそうとする。それで満たされる事はないので、更に人の賞賛を
求めて行く。主の愛、主から受け入れられ、認められていることを
知って行くこと、空虚を満たすものは、主のみだ。
---------------
人の評価、人の前を気にし人によって満たされている自分は、主の
前にどう映っているだろうか。動機をよく吟味し、主に満たされる
喜びで人と接していきたい。