2015年12月12日(土)

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して 罪を犯してはなりません」ヨハネ8:11



姦淫の女性が、主の前に引き出されたが、これは律法学者パリサイ
人の悪意による罠だった。「それは、イエスを告発する理由を得る
ためであった」。律法によると、姦淫は死罪だ。そして主は、ご自
身が愛の人であり、愛と赦しを説いていた。もし、主が律法通りに
「死罪」だと言うと、愛はどうなったとなる。

そして民衆は失望落胆し、主から離れるだろう。もし、「赦せ」と
言うなら、律法を破る者が神から来るはずがないとなる。律法学者
たちはどちらにせよ攻撃できた。「しかし」主は答えられないで、
身をかがめて、指で地面に書いておられた。その姿勢のままでおら
れた中、彼らは尚も強く問い続けた。

彼らが止めないので、主は想定外の答えをされた。「罪の無い者が、
まず石を投げよ」と。すると一人〃と去り、誰もいなくなった。そ
の女性は逃げずに「そのままそこにいた」。すると「わたしもあな
たを罪に定めない」と。主が十字架で身代わりに受けて下さるから
だ。そこに身代わりの死があるからだ。

私たちも、もし言い訳やごまかしで逃げるなら、主の赦しは受け取
れない。逃げずに、罪を認めて、主と向き合う事が大切だ。その時、
主の愛と赦しを受け取り、主の慈しみを経験する。又、「罪のな
い者が、彼女に石を投げなさい」、私たちもどうだろう。すぐに人
に石を投げる者だろうか。彼らと同じように自分の罪は棚上げで、
人を裁き、欠点を責め、あら捜しをする。しかし自分の姿に気づく
なら幸いだ。

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女性は「そのままそこにいた」。私たちも、御霊が罪を気づかせよ
うとして下さる時に、うすうす気づきながら、向き合いたくないの
で、すり抜けてしまう。逃げずに、主のもとに、そこにいるなら、
罪が赦されて、主の愛を知り、新たにされて生きて行ける。