2016年02月10日(水)

「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」創世記11:7




よく知られているバベルの塔の箇所だ。最初、全地は一つの言葉だ
った。互いに交流でき、意思疎通もできていた。そんな頃、人々は
移住して来て、シヌアルという地に定住した。彼らは、神から、れ
んがを作る技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物を作ることがで
きた。うまく対話もでき、肥沃な地に住み、建築技術も与えられ、
すべては神の素晴らしい恵みであった。

しかし「そのうちに彼らは」「天に届く塔を建て、名をあげよう」
と言い出した。主の恵みに感謝し、栄光を主に帰するのではなく、
自分の名をあげ、自分の栄光、自分の名誉、賞賛、「自分」が神の
位置に着くようになった。神に与えられた能力を、自分の栄光のた
めに使うようになった。自分が、自分の、自分のため・・。これが
アダムからの罪そのものだ。

「そのうちに」とある。最初は良かったのだが「その内に」向きが
狂って来た。神は言葉を乱し、意思疎通を不可能にした。その結果、
塔建築は出来なくなり、「彼らは建てるのを止めた」、失敗に終わ
った。神が介入され、阻止された。人々は全地に散らされた。原因
は「高慢」であった。

私たちもどうだろう。言葉が通じず、気持ちが通じない時、そこに
神を忘れ、「自分が、自分が」「自分の意見」「自分の思い」の
「高慢」がないだろうか。まず主の前にへりくだる時、必ずそこに
は御霊の一致がある。
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自分の思いだけで見ていくと物事は混乱し、みなバランスを失って
しまう。主の御思いは何処にあるのかと謙遜に主に尋ねて動きたい。
御心に従って歩もう。