2016年03月12日(土)

「すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」ヨ ハネ10:4


神は、御声をかけて私たちを導かれる。御声を聞いて私たちは従う。
しかし私たちの心には、神の声と共に、他の「声」も聞こえて来る。
すべてが神の声ではないので、要注意だ。神の声、サタンの声、自
分の思いの声、世の価値観の声がある。それらが入り混じっている。

間違わないよう、どこからの声なのかを、よく判別する必要がある。
間違った声に従うと、御心と正反対の方向へ行ってしまう。まず、
その声が御言葉と合致しているか。主は御言葉に反する導きを決し
てされない。又、目的は良いが手段が不正なら、神からの声ではな
い。そして、神の声は愛なる声で、力強く且つ穏やかだ。落ち着い
ていて、平安に満ちている。安心感がある。

サタンからの声は、恐れと不安でいっぱいになる、怒りが湧き、憎
しみや妬みが起きる。心が暗くなり、重苦しくなる。平安が失せる。
弱さを責め立てられ、又、逆に自分の力を誇らせるものだ。高ぶら
せる。主の声は、悔い改めるべき点をはっきりと指し示し、サタン
の声は漠然とした非難と責めで、明確な一点が無い。

主の声は具体的に示し導き、サタンの声は急かし、焦らせる。自分
の肉の欲からも、ああしたい、こうしようとの思いが内側からふつ
ふつと湧き上がる。そして、サタンは神の声を真似る。「サタンさ
え光の御使いに変装するのです」しかし御霊は助けて下さる。祈っ
ていると御霊は聞き分けさせて下さる。

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羊は羊飼いの声を知っている。しかし例えば、周囲のよく知ってい
る声があったとしても、もし嫌な相手ならついて行かない。しかし
御声の主は愛と慈しみに満ちた方だ。平安と慰めに満ちた声で、そ
の声には力と明確な指針がある。この確かな御声に導かれて歩める
幸い。