2016年04月11日(月)

「・・父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」ルカ15:20




弟息子は、父親のもとにいるのが窮屈で、自分の好きなように、自
分の思い通りに、生きたかった。父の財産の生前贈与を受けて、遠
国へ出て行ってしまった。父親の心を踏みにじる行為だ。息子を愛
する父はどんなに悲しみ、心痛めた事だろう。肉は、人の指図は受
けたくない、自分の思い通りに生きて行きたい。自分中心で、自分
が神だ。

父親は、息子がその結果どうなるかも、何もかもわかった上で、あ
えて息子の思い通りにさせてやる。自分でやってみて、失敗しない
とわからない。案の定、放蕩ざんまいで財産を湯水のごとく使い尽
くしてしまった。それと共に周囲の者も皆去ってしまった。死と隣
り合わせになった時に、初めて我に返り、パンを求めて父のもとへ
帰ろうと決心する。

ぼろぼろになって、帰還すると、父親のほうが「彼を見つけ、かわ
いそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」。父親は、この
息子を「かわいそう」に思って、抱いた。神の「あわれみ」だ。神
は、決して私たちを見捨てられない。どのような状態であろうと、
受け止めて下さる。

「あわれみ」は、全く資格の無い者に与えられる愛顧だ。罪を犯し
た時も、恐れや思い煩い、不安で身動きが取れない時も、私たちは
どんなどん底でも祈ることができる。「主よ、私をあわれんで下さ
い」と。
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悔い改める前から、御父はあわれみで追い続けてくださっているな
ら、弱さを持ったままで帰って良い場所だ。失敗や過去の罪をいつ
までも悔やむがその時にする事は御父に顔を向け戻って行くこと。