2016年10月12日(水)

「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」ヨハネ15:5


どうだろう。日常生活で、祈る時も、考える暇もないほど忙しくて、
次々と目の前の事柄に追われる時があるだろうか。そんな時、動き
回っているが、何かが、ちぐはぐになっていて、心は満たされてお
らず、結局、骨折り損のくたびれもうけみたいになってしまう・・。

そんな時、「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中
にとどまります・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶこと
ができません」との主の言葉が響いて来る。主にとどまること、そ
の時、今日の一日が、豊かに実のなる一日とされる。

主や、主の言葉が飛んで、祈りもなく、ただ走り回り、目の前の事
柄をこなす時、心の虚しさを経験する。外側は動き回っているが、
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」との
御言葉通りだ。大事な事は、誰と共にいるかだ。

「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」との主を
意識し、主と共にこの一日を生きる時、心は満ちて来る。喜びが湧
いて来る。主を求め、御心を求めて行く時、虚しい一日とは決して
ならない。主の愛は永遠に変わらず、常に愛して下さっている。祈
りつつ歩もう。

主はどんな小さな祈りも聞いておられる。こちらも主に向き、周波
数を合わせる時、主の御声が聞こえて来る。その示しに従おう。主
に向くことが大切だ。主にとどまる日々は、豊かに実を結んで行く。
-------------
忙しく心が枯れそうな時は、小さな祈りでも主から養分を受けるこ
とができ、少しの時間でも御言葉を開けば心はまたあたたかく燃や
される。どんな時でも主に繋がっていよう。