2017年10月12日(木)

「わたしは人からの栄誉は受けません」ヨハネ5:41


「偽善」とは、「役者」という意味がある。役者とは、つまり本当
の自分ではなく、舞台で演技をする人のことだ。全く違う自分を演
じている。仮面をかぶり、台本の通りに、芝居をし、演技する。そ
の演技を、台本通りに舞台上でなく、普通の日常生活で行なう人を、
偽善者という。宗教が、信仰が、お芝居になる。

本来の役者は、演じているとわかって芝居している。しかし偽善者
は演じているとは思っていないで、演じている。そもそも演じるの
は、「人に見せるため」だ。「彼らのしていることはみな、人に見
せるためです」のごとく、天の御父にほめられるためでなく、人に
ほめられるために、賞賛を得るために演じる。それを偽善と言う。
それは虚栄心から来ている。

私たちにもあるだろうか。御父のためでなく、人に見せるために、
人にほめられたいがために、人前で善行をする。しかしそれは主が
「白く塗った墓」と言われたように、外側は正しくて立派に見えて
も、内側は、偽り、欺き、醜い罪でいっぱいだ。どんなに人に認め
られ、賞賛されたとしても、神からの評価はゼロであり、そこに信
仰が成り立たないとある。

「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたが
たは、どうして信じることができますか」と。人からの栄誉を求め
る時、神の愛が無いと。人の賞賛を求める根深い思いがありますと、
祈って行こう。主が祈りに答え、導いて行って下さる。
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人を意識した善行は、唯一の神からの評価は受けられないとはっき
り宣言されている。人からの栄誉で満足してしまうときは要注意だ。
欺かれないように目を覚ましていたい。