2018年02月09日(金)

「主をおのれの喜びとせよ」詩篇37:4



ある働き人が、地方に開拓宣教に出た。宣教は困難で、なかなか人
は来ない。そんな中、宣教の働きの成果が出たら喜び、成果が無け
ればひどく落胆した。人が救われれば喜び、人が救われなければ、
がっかりし失望落胆する。ひどく落ち込んでしまう。そんな歳月を
経て、ある時気づかされた。伝道の成果で一喜一憂、大きくアップ
ダウンし、自分はいつも不安定この上ない。

それは、常に成果を見つめ、成果を喜びとしているのであり、主を
喜びとしているのでは無いからだと。見ているのは、成果であって、
主ではない。そうではなく与え主を絶えず仰いで、どんな時にも主
を喜んで行くなら、どのような状況の中でも、結果がどうであって
も、喜びがある事を教えられた。主が与えて下さったものを、祝福
を、喜ぶのでなく、与え主である主ご自身を喜んで行くからだ。

そして主を喜んで行くなら、もし自分の思い通りに事が運ばないと
しても、そこに不満は無い。主を信じているからだ。主のご計画が
あることを信じ、主のしようとしておられる事がある事を信じ、万
事が益になる事を信じて行くからだ。そんな中で、主は信仰を鍛え、
更に信仰を強めて行って下さる。今、主を見ているだろうか、主の
下さるものを見ているだろうか。
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良いものは喜び、悪いもの、思い通りでないものは素直に喜べない
が、それも主から来たものと知っている。主を信頼し、全て良いも
のしか与えられないと信仰に立とう。