2018年10月11日(木)

「しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい」マルコ9:50



料理に必ず塩は必要だ。料理を引き締めて、美味しくうまく味つけ
する。塩気の無い料理はどうだろう。まずくて、食べられたもので
ない。又、甘いものに、かくし味の少量の塩は甘みを増す。酢の酸
味を抑えるのも塩だ。料理に塩は不可欠だ。塩は、防腐剤にも使わ
れ、腐敗を防ぐ。

主は私たちは地の塩だと言われた。この世において、塩の役割を願
っておられる。塩けが無くなったとは、どんな歩みだろう。御言葉
ではなく、この世に合わせて歩む信仰生活だ。基準が御言葉でなく、
人の顔色だったりする。摩擦を起こさないために、カメレオンのよ
うに自分をその場に合わせて変えて行く。

だが、塩に塩けが無くなったら、何によって塩けを取り戻せるだろ
うか。「もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけ
られるだけです」とある。自分の力では塩けなど保てない。御霊が
助けて下さる。

そして逆に塩けが強過ぎる場合もある。効き過ぎると、愛無しの律
法主義に陥ってしまう。言っている事は、全く正しいのだが、愛や
柔和が感じられない。愛なしに正論で責められても、心が苦しくな
るばかりで、受け入れ難い。

正しい事であっても、御霊に導かれて、御霊と共にでなければ、相
手に響かず、届かない。日ごとに主にとどまり、主のとの交わりの
中で、御霊の働きにより、御霊が私たちを地の塩として、用いて下
さる。
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信仰が日々の生活の中で生かされているだろうか。主から与えられ
た塩気を自分の内に保てるよう主に留まり目覚めていよう。御霊に
聞きながら適量の塩気で、世に証しして行こう。