2019年05月12日(日)

「私はあなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めま す」詩篇119:15


有名な話がある。ある親子がロバを連れて旅をしていた。すると通
行人が言った。「せっかくロバを連れていて、誰も乗っていないな
んて!」父親は「そうだ」と思い、息子をロバに乗せた。又、通行
人が言った。「親不孝な息子だ。自分がロバに乗って、父親を歩か
せるなんて」そう言われた息子は降りて、父親をロバに乗せた。

すると別の通行人が「何てひどい親だ。自分がロバに乗って、息子
を歩かせるとは」。それで親子でロバに乗った。すると今度は「何
とひどい!あんなロバに、2人も乗るなんて」親子はどうして良い
かわらず、2人でロバをかついだ。

人の目を気にし、体面を気にして生きると、ほんろうされて、どこ
に向かうかわからない。羅針盤を失った船のようだ。私たちが気に
するのは、人の言葉でなく、主の言葉だ。主はどう思っておられる
のか。主のお心は?御言葉と人の言葉とどちらが行動基盤になって
いるだろう。

御言葉のほうに従って行く時、心が定められ、確信が与えられるの
で、無責任な人の言葉が気にならなくなる。御言葉には力がある。
無責任な人の言葉には、「しかし私には聞こえません。私は耳しい
のよう」と、耳しいになる必要がある。思い煩いや不安の不信仰へ
と誘われてしまう。

「人の言葉にいちいち心を留めてはならない」ともあり、何でもか
んでも受け入れるのではなく、聞く言葉と聞かない言葉の区別が必
要だ。御霊の助けを祈っていよう。

・・・・・・・・・・
愛のある、的を射た助言や忠告は、聞かなくてはならないが、人の
無責任な言葉は気にしない事だ。聞くべきは、主の言葉だ。御言葉
から目を離すと、揺れ動いて定まりが無くなってしまう。御言葉に
より思考し、御言葉により判断し、御言葉を行なってゆけるよう、
祈ろう。