2019年07月12日(金)

「主は彼女に仰せられた『・・一つの国民は他の国民より強く、兄が 弟に仕える』」創世記25:23


エサウとヤコブの双子の兄弟が、リベカのお腹の中にいた時に、主
は御心を示された。「兄が弟に仕える」と。アブラハムに約束され
た祝福は、弟ヤコブにより成し遂げられると。しかし父イサクはエ
サウを、母はヤコブを愛した。兄弟も霊的な事柄に対する心が違
っていた。

兄エサウは、長子の権利よりも、肉のものが大事であり、空腹で死
にそうなら、食物が重大であり、長子の権利など何の価値も無かっ
た。「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑した」「一杯の食物と引
き替えに自分のものであった長子の権利を売った俗悪な者」と。霊
的祝福を肉のものと取り替えてしまい、関心は地のもので、神への
思いが無かった。

ヤコブはしたたかで、計算高い人間だが、霊的な事に強く心が向き、
価値を見い出していた。長子の権利も欲しかったため、兄の空腹に
つけ込んだ。そして祝福を奪うため、父と兄を欺いた。間違いは、
神がヤコブに与えられるものを、自力と策略で奪い取ったことだっ
た。名の通り「人を押しのける者」だった。

父イサクも、「兄が弟に仕える」と御心を示されていたのに、偏愛
するエサウをひいきし、祝福を与ようとした。それも肉によるもの
だ。主は、弟が祝福を受け継ぐ者と決めておられた。行ないや努力
でなく、主の選びによるものだった。

このようなヤコブだったが、信仰の人として賞賛されている。ヤコ
ブは厳しい訓練を受け練られて行った。同様に私たちも「世界の基
の置かれる前から、キリスト・イエスのうちに選び、御前で聖く、
傷のない者にしようとされた」と、一方的に主の愛により選ばれた。
どんなにはかり知れない恵みだろう。霊の祝福をなおざりにし、肉
のものと取り替えていないだろうか。

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自分の思い、好みでなく、御心に従うことの大切さを教えられる。
兄が弟に仕えるという人の思いを超えたご計画に、皆が従えば、ど
うだったろう。神の主権によることであり、人間的なものでなく、
神視点でものを見ることを教えられる。