2019年10月12日(土)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時 がある」伝道3:1


信仰生活を送る中で、「神の時」ということを学ばせられる。
「時」は重要だ。すべてに神の定められた、神の時がある。しかし
神の時を待てないで、焦って自分の思いで突き進んでしまい、実の
無い結果に終わる経験をしただろうか。アブラハムは、子を与える
と神の約束が与えられたが、なかなか実現しなかった。サラの申し
出から、奴隷ハガルによりイシマエルをもうけてしまったが、肉に
よる行ないであった。

後に約束の子イサクが与えられた。「天の下では、何事にも定まっ
た時期があり、すべての営みには時がある」。神の時があり、神の
時が満ちなければ、どんなに焦っても、急いても、事態は全く動か
ない。そして、神の時が来たなら、全く動かなかった物事が、動い
て行く。人手によらず門が開かれ、事が進み、実現して行く。何十
年と動かなかった事態が、神の時にはすっーと成就する。驚くばか
りだ。

全主権が神にある事を見せられる。そうであれば、私たちにとって
大切な事は、「神の時を待つ」ことではないだろうか。「時」でな
ければ動かないし、時が満ちれば、ひとりで動いて行く。思い煩う
ことなく、心騒がせることなく、神の時を待てるように祈ってゆこ
う。

アブラハムは100歳になり、もはや彼の肉体は死んだも同然、サラ
の胎も死んでいる事を認めて、もはや何の力も無くなった時に、約
束の子イサクが与えられた。神には人の思いの及ばない深いご計画
がある。今、必要な事は、忍耐を与えられ、神の時を待つことだろ
うか。

・・・・・・・・・・・・
お金を入れて、飲み物が出てくる自動販売機ではないが、すぐに結
果が欲しい。足元を照らずともしびではなく、サーチライトで遙か
先も見たい。待つ事が非常に難しい。しかしその中でこそ確かな信
仰を養い培って下さっている。神の時を待てるよう、祈ろう。