2020年01月12日(日) 「イエスは答えられた『もしわたしが洗わなければ、あなたはわた しと何の関係もありません』」ヨハネ13:8
「イエスは答えられた『もしわたしが洗わなければ、あなたはわた しと何の関係もありません』」ヨハネ13:8
主がたらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い始められた。そして手 ぬぐいで拭かれた。ペテロの番になると、「主が私の足を洗って下 さるのですか」と驚き、「決して洗わないで下さい」と、余りにも 恐れ多いからと。ペテロはそれを拒んだ。この時代は、今のサンダ ルのようなはき物で、砂ぼこりで足が大変汚れた。ペテロはその自 分の汚れた足を、師に洗ってもらうなどと、とんでもないと思った のだ。 しかし、それは自分の心の部分にも通じる。誰しも自分の汚い部分 を、人に見せたくない。醜い部分は隠しておきたい、誰にも知られ たくない。しかし、主はそこをこそあらわにし、洗わなければ、主 と何の関係も無くなると言われた。そこで、主との関係が深められ るのだと。 私達は見栄えの良いところ、能力のあるところを見せたいものだ。 人に認められたいし、評価されたい。しかし、主と私達の間はそう ではない。弱い、醜い、汚い部分をすべて主に広げ、明らかにする 時に、赦され、新たにされ、造り変えられて行く。主は弱さを受け 入れ、罪を赦し、傷はいやして下さる。主に心を開き、真実を打ち 明けて行くことだ。 その事を通して、主との関係がより親密にされて行く。弱さは悪で、 強いことが善とのこの世の価値観がある。しかし、正反対で、現さ れた弱さにこそ、主の力が臨み、主により強くされて行く。又、罪 はことごとく赦される。弱さや罪を隠す事こそ、主との関係を妨げ てしまう。汚れた、ほこりまみれの足を洗って頂こう。 ・・・・・・・・・・ 罪を犯すと、心にとがめが来るので、心が重苦しくなり、どうして も主と距離が出来てしまう。自分で少しはきれいになってと思って しまう。しかし足が汚い事を認め、その足を差し出す時、きれいに して下さる。弱さをご存じで、赦そうと待ち構えていて下さる。