2020年03月12日(木) 「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです」Tコリント13:1
「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです」Tコリント13:1
ある人が、後輩の対人関係の悩みを聞いていた。正しい冷静な判断 をしてあげたいと、相手が話すしりから、「それは、君も悪い」 「君の〜〜の態度は良くない」「君の〜〜の言動はまずい」とこと ごとく話を折ってしまった。又、相手が話すと「それは、〜〜すれ ば良かった」「もっと〜〜すべきだったね」と、自分では善意で、 解決を図ろうと、懸命に考えて助言したつもりだった。 しかし相手はキレてしまって、「先輩は、聞いてくれない!ああし ろ、こうしろと正論ばかりで、気持ちが全然休まらない。いらいら する」と親しいので本音を言ってくれたのだが、大変なショックだ った。自分としては良かれと思ったが、正、不正で評価するばかり で、全く気持ちに寄り添う事が無かった。 正しさばかりを押しつけて、荷を軽くするどころか、更に重い荷を 負わせてしまった。パリサイ人は、自分は正しいと決めつけ、「言 い伝え」を守れない人たちをさばくばかりで、人々に荷を負わせ、 自分はその荷に指一本さわらなかった。主は、自分の正しさで人を 苦しめていないかと言われる。 「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。 なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」とあり、愛によらない正 しさは、人を損ない、傷つけ、又、同じ量りで量り返される事にな る。そして自分の知恵でなく、御霊の知恵による導きによって歩む ことが、自分も相手も平安へと導く。 ------------- 自分は正しいと思う時の勢いは恐ろしい。いつも自己中心なものさ しを持っていることを忘れずにいたい。主の愛を持っているか、祈 りながら応答しよう。