2020年07月12日(日)

「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあ なたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたの であるから」」Tサムエル8:7



イスラエルの民が王が欲しいと、サムエルに王を求めた。他の国民
のように自分たちも王が欲しいと。しかしそれは、主の御心ではな
かった。だが、民が「どうしても」と、何がなんでもと要求した時、
主は、要求を聞き入れよと言われた。それは、サムエルを退けたの
ではなく、神を退けたのだと。主はサムエルに彼らに厳しく警告し、
王の権利を告げるようにと。

しかしそれを聞いても尚、民はどうしても王が欲しいと言い張った。
すると主は、王を立てよと言われた。時に、自分が肉で計画した事
がうまく行く。思い通りに、画策通りになる時に、これは主が成功
させて下さった、主が認めて下さったのだと思うが、それは大きな
誤解だ。どうしても行くというので、主は、民が自分の道を行く事
を許されただけだ。

どれだけ警告を受けても、私たちが頑なに聞かない時、主は願う通
りの道を行かせられる。自由意志を尊重され、決して強いる事はさ
れない。そして蒔いた種を刈り取らせられる。結実してしまい、辛
い、苦しい刈り取りになる。その刈り取りをも訓練とし、学ばせら
れる。自我を通す事が、いかに愚かであるかを身をもって知る。

蒔いたものは必ず刈り取る。蒔き刈りの法則だ。今、自分の道に行
こうとしているなら、又、祈らずに進もうとしているなら、立ち止
まって祈ろう。方向変換して御霊に従おう。御霊に従う事がどれほ
ど祝福であり、平安な喜びの道かを知る。御霊の実を刈り取る。

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反対されても、何がなんでも欲しいと、どこまでも願う時、主はそ
れを与えられる。しかし願うものを与えられて、心はやせ衰え、虚
しくなると言っている。肉の思いを通すなら、御心をそれてしまう。
主に従えるよう祈ろう。