2020年10月12日(月)

「彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました」詩篇109:5



ここでダビデは、邪悪な口、欺きの口を向けられ、理由もなく攻撃
され、憎まれ、なじられ・・と言っている。自らの愛情と真実な心
を向けた相手に、立ち向かわれ、憎まれ攻撃されるという辛い経験
をした。サウル王やアブシャロムによる迫害かと言われている。ど
んなに苦しみであったろう。愛や真心は必ず通じると思いたいが、
そうでない現実もあるようだ。

そんな時はどうすれば良いのかを、ダビデを通して学ぶ事ができる。
愛し、誠実に接した相手が、敵対し、歯向かって来る。邪悪な、偽
りの、憎しみの言葉で取り囲み、罵り、なじって来る。非常に辛い
状況だ。しかしそれはまさに、神に対する人間の態度そのものだ。
だが、神は、敵対する者を更に追いかけ、愛し続け、たった一人の
御子まで殺して下さった。

その御子を私達はどう扱ったか。神の愛すら通じないのであれば、
罪人である人間同士の愛が通じなくとも不思議はない。主は十字架
上で、人々の罵りに対してどうされたか。御父に執り成し、その人
々の赦しを祈られた。ダビデも同じだ。キイワードが、「私は祈る
ばかりです」だ。相手を攻撃し、復讐するのでなく、主に、何もか
もを赤裸々に打ち明け、知って頂ける。

主に心の内を吐き出し、叫んだダビデは、この後、「大いに主に感
謝します。賛美します」と変えられている。今、もし苦しみの中な
ら、「私は祈るばかりです」。主に何もかもを吐き出し、聞いて頂
こう。感謝へと変えられて行く。
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全てを主の前に持っていき、主との交わりの中に逃げ込もう。辛い、
悔しいと爆発しそうな感情は、くり返し沸き起こり気づけばサタン
と会話してしまう。主の愛を覚えこの試練に勝利しよう。