2021年05月12日(水) 「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその 中にいた」ヨブ1:6
「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその 中にいた」ヨブ1:6
ヨブは、突然7人の息子と3人の娘を失い、雇人と家畜の全所有物 を、1日の内に失ってしまった。わけがわからず、誰でもパニック になって当然の状況だ。しかしヨブは、地にひれ伏し、主を礼拝し 「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と受け止め た。目の前の言葉も無い、打ちひしがれるような状況に、主を認め、 主の主権を認めたのだった。 その後、次にはヨブ自身に、足の裏から頭の頂きまで、全身に悪性 の腫物ができた。土器のかけらで、身をかきむしるという悲惨、悲 痛な状況だった。妻は、ヨブに神を呪って死ねとまで言った。極限 状態だ。だが、これらの原因はヨブではなく、背後にサタンの介入 があった。 サタンは、神にヨブを中傷し、ヨブが忠実に従っているのは、自分 の利得のためだと。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」つま り見返りがあるから、従っているのだと。サタンは告発者だ。兄弟 たちを中傷する。「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たち の神の御前で訴えている者」だ。そのため神は、限界を定めた上で、 サタンの介入を許可された。つまりサタンの働きであった。 しかし重大な事は、サタンは働くが、尚もその背後に、サタンをも 支配する、神の絶対的な主権がある事だ。それはサタンも侵せない。 私たちもサタンの攻撃や誘惑に絶えず悩まされる。だがヨブの出来 事の、明らかにされた舞台裏を通し、サタンは主の定めた範囲内で しか働けない事を見せられる。 苦しみの時、一見サタンにほんろうされているように見えても、限 界が決められている。耐えられない試練は無く、脱出の道がある。 そして忍耐の後、ヨブは2倍の祝福を受けた。試練には、必ず豊か な祝福がある。そして必ず成長が与えられる。 ・・・・・・・・・ 次々と苦しみが臨むと、サタンにほんろうされているように感じて しまうが、そうではない。背後に、サタンをも支配する、絶対的主 権者である主がおられる。そこに焦点を当てていよう。主が万物の 支配者であり、最初であり最後である方だ。