2021年09月11日(土)

「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとり もありません。失われるのは船だけです」使徒27;22



パウロは主からローマ行きを示されていた。ローマで主の証しをす
るためだった。それが諸事情あり、パウロの思いとは全く異なり、
囚人としてであったが、イタリヤ行きの船に乗る事になった。出航
したが、途中、風のために進む事ができず、良い港という所に着い
た。

パウロは、もう航海は危険だと判断し主張したのだが、百人隊長に
より、クレテの港へ行き、冬を過ごす事になった。すると何日もの
激しい暴風に会い、船はほんろうされた。積み荷を捨て、船具まで
捨てた。太陽も星も見えない日々が続き、絶望的であった。身の危
険に最後の望みも断たれようとしていた。

だがパウロは「命を失う者は一人もない。失われるのは船だけ」と
確信に満ちて告げた。主は、信仰人生、失うものは何もないとは言
われない。ヤコブも「私も、失うときには、失うのだ」と言った。
私達は信仰生活で、様々失うものがあるだろう。「主は与え、主は
取られる。主の御名はほむべきかな」と。

ヨブは、主は与えて下さると同時に、取られるとも証ししている。
しかし、失う事はあっても、必ず私達は御手の中に堅く守られ、信
仰の生涯を全うできる。船を失う事があるかもしれないが、信仰人
生は堅く守られ、確実に安全な島に打ち上げられることを覚えよう。

得る事は嬉しいが、失う事は、嬉しくはなく痛手だ。心痛む。だが
振り返る時、あの時、この時の損失、大きな痛手だったが、それに
より自分自身が練られきよめられ、成長させられた。今の自分があ
る。実際に、いろんな形で損失を通るが、思いを遙かに越えた祝福
に至る。船を失う事はあるかも知れないが、豊かな霊的祝福へと至
る。

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信仰人生は、決して自分の思い通りではない。思い通りには行かな
い。しかし主の御心が成し遂げられて行く。パウロが思いとは違っ
て囚人で、しかしローマに到着したように。主に委ね従う時に思い
通りではないが、主の思い通りに導かれる。それこそベストだ。