2022年06月11日(土)

「しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のと ころに持って来なさい」T列王17:13



主は、飢饉の際に、エリヤにケリテ川に行くようにと指示された。
アハブ王からかくまうためだった。そこで主により養われた。その
ケリテ川が枯れた時に、次に、主からシドンのツァレファテへ行く
ように命じられた。そこでやもめ女により養うと。主の言葉に従い、
行くと、言葉の通りにやもめ女に出会った。そこで彼女に水とパン
を求めた。

すると彼女は人を養える金持ちなどではなく、一握りの粉だけがあ
り、それでパンを作り、母子で最後の食事をして死のうとしている
と。驚くべき状況だった。極度に貧しいやもめで、悲惨な状態にあ
った。エリヤは何と思っただろう。目の前の人物は、人を養うなど
不可能だ。しかし助けを求めなければならない。人間的に考えるな
ら、最後のパンを自分にくれとは、とても言えない。他のやもめを
当たるだろうか。

しかし、エリヤは見えるところでなく、自分の感情、自分の思いで
もなく、主の言葉に断固従った。まず私に小さなパンを作り、その
後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わる
まで、粉は尽きず、油は無くならないと。人の思いや情は、神のみ
わざを妨げる。エリヤはどこまでも御言葉に立ち、そして彼女はそ
のエリヤの言葉に従った。

すると、やもめ女と子どもは飢饉の間中、豊かに養われる事になっ
た。主を第一にする時、主のみわざを見る。自分の思いや感情、見
えるものが、すべて反対方向を向いていても、主の言葉を選択し、
従おう。そう出来るよう祈ろう。その時、主が責任を取って下さる。

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御言葉と目に見える状況が、相反する時がある。自分の思いが来て、
自分の方法の方が良いように思える。しかし御言葉と自分の思い、
現状が相反する時は、御言葉を選択しよう。ペテロも見える所は逆
だが「でも、おことばどおり」従うと、破格の祝福を見た。